血液センターの活動

兵庫県赤十字血液センターのあゆみ

昭和40年代 兵庫県赤十字血液センター誕生

昭和39年8月21日、政府は「献血の推進について」の閣議決定を行い、日本赤十字社は献血受入れ体制を急速に整えるため、従来自社計画で進めてきた血液事業6カ年計画を政府の方針に合わせて短縮し、血液センターの設置と移動採血車の配備を急ぎました。
そのような状況の中、昭和39年11月、兵庫県献血推進協議会が発足、兵庫県血液対策要綱が制定されました。
それと並行して、兵庫県赤十字血液センターの開設準備が始まり、日本赤十字社兵庫県支部に移動採血車1号が配備され、愛称は一般公募で「おりづる」と命名されることになりました。
そして昭和40年2月25日、兵庫県赤十字血液センターが神戸市中央区(旧生田町)楠町に設立され、採血業務をスタートしました。
しかし、その後設立された兵庫県献血協会により、県、公、赤十字の血液センターに加えて、民間のミドリ十字が採血、供給機関に指定されたことから、全国的に類をみない「兵庫方式」と呼ばれる血液事業体制となり、献血に対する誤解を生じることとなりました。
また、献血手帳とは別に「献血証」と呼ばれる血液との引換え証のようなカードも発行され、非常に預血的な要素が強くなり献血の推進上、さまざまな問題を残すこととなりました。
そうした状況の中で、当血液センターは日本赤十字社兵庫県支部、神戸赤十字病院との合同庁舎の一部として移転し(神戸市中央区下山手通)、昭和43年にはミドリ十字神戸支店への供給委託を中止し、直配を開始しました。しかし、まだ一部に業者委託が残っており、全面直配となったのは、昭和44年10月のことでした。
また、かねてから県民の強い要望であった西播地方の血液センター設置に応え、昭和43年2月に姫路赤十字病院内に兵庫県姫路赤十字血液センターを開設していましたが、昭和47年1月、姫路赤十字病院構内に新築移転しました。
この頃の輸血用血液は「採血ビン」での保存で、保存期間も短くまた運搬にも不便でしたが、塩化ビニール製のバッグが登場し、一部でそのバッグによる採血となりました。
そして輸血用血液は、保存血液から徐々に成分製剤の時代へと変遷を遂げていくのでした。

近代化する50年代 輸血の主流は成分輸血 そして…献血制度の改正へ

昭和50年2月、当血液センターの延べ献血者数は50万人を突破しました。設立後10年の歴史がそうした多勢の皆さまのご協力として現れ、事業の重みを再認識しました。
この50年代はいろんな面で事業の近代化が進むことになりました。
まず、血液の検査法、検査機器、採血器具等が新しいものが導入され、血液の安全性確保、献血者への安全対策等が向上しました。
血液製剤は保存血液から完全に成分製剤が主流となり、50年代末には保存血液の割合はわずか10%未満となりました。
また、昭和54年には神戸市中央区坂口通に血液センター単独庁舎を新築移転し、より近代化した庁舎での業務を開始しました。
そして、翌55年には現天皇、皇后両陛下をお迎えし、神戸市において第16回献血運動推進全国大会を開催、また同時に、第4回日本赤十字社血液事業学会総会を開催しました。
昭和57年4月1日、姫路赤十字血液センター豊岡出張所を開設。但馬地域の血液事業業務推進体制を整えました。
献血思想の普及活動が活発化してきたのもこの頃からです。「はたちの献血」キャンペーン等は現在も引き続き行っているPR活動の大きな柱です。
そのような時代の中、献血運動は大きな変換を迎えました。「献血制度改正」です。それまで続いてきた預血的な献血制度を改め、純粋なボランティア活動としての献血制度にするため、昭和57年4月1日をもって献血手帳の供給欄及び預血的要素の強かった献血証を全廃しました。
その結果、企業をはじめとする色々な献血団体や一般の皆さまから様々なご意見をいただき、職員の必死の努力にもかかわらず、この年は血液センター創設以来推進上では初めて献血者数が前年度を下回る結果となり、血液事業に携わる者としては苦い思い出となってしまいました。
そして昭和59年、献血受入れの新しいスタイルとして、三宮さんプラザ献血ルームがオープンし、献血新時代への幕開けとなりました。

60年代 献血新時代

昭和60年代は、国内初のエイズ患者発生という重苦しい雰囲気の中でスタートしました。
血液事業も輸血用血液の安全性確保という観点から、当血液センターでは61年7月から全検体に対しHIV抗体検査を開始しました。
さらに安全性を確保するため献血の受付時における問診の強化や、献血者に対し自己申告制(コールバックシステム)を導入しました。
また、新たに61年4月から400mL献血を、10月からは(テスト採血は7月から)成分献血を導入し、従来の200mL献血と合わせ3種類の献血方法でご協力いただけるようになりました。当初は「献血量が倍になったのか?」とか「献血をするとエイズに感染する」といった誤解が一部で発生し、そうした誤解を払拭するため職員が一丸となって努力しましたが、いったん発生した誤解を取り除くには相当の時間を要しました。そして61年度は年間で約27,000人の400mL献血(構成比11.4%)と約350人の成分献血(構成比0.2%)のご協力がありましたが、献血者数は減少しました。
この年は、県内2番目となる姫路みゆき通献血ルームを開設、4月から業務を開始しました。
さらに献血者に感謝の意を表すため従来から実施していた生化学検査サービスに加え、400mL献血、成分献血にご協力いただいた皆さまに対し、血球計数検査サービスを開始しました。
そして、62年1月みなと神戸はエイズ報道でパニックとなりました。神戸市在住の方が全国で初のエイズ患者として認定、死亡されました。
この騒動で血液検査を目的とした献血者が増加し、血液センター職員は血液の安全性確保に慎重を要しました。そして、1月23日からは血液センターの玄関、献血ルームの受付等に「エイズ感染不安のある方は献血をご遠慮ください」と記した看板を設置し、また事前検査での問診項目を増やし、水際での感染防止対策を行いました。
そうした中、400mL献血、成分献血のご協力に確かな手応えを感じるようになってきました。

時代は「平成」 献血者数から献血量の時代へ

昭和天皇が長期ご闘病の後崩御され、新たな時代となりました。
天皇はご闘病の間、幾度かの輸血を受けられ、その後はマスコミを通じ大きく報道されました。
平成元年、この年には当血液センターで3番目の献血ルームとして明石運転免許試験場献血ルームがオープンしました。また、三宮さんプラザ献血ルームも成分献血の受入れが充分対応できるよう拡張し、全国で2番目に大きな献血ルームとして改装しました。それにより将来需要が増加すると予想された高単位の血小板、また凝固因子製剤を製造するための血漿確保に欠くことのできない成分献血推進の大きな柱となりました。
この年には当血液センターの延べ献血者数は300万人を突破することとなりました。
また血液の安全性確保はさらに進み、平成元年12月、世界で初めてC型肝炎の検査(HCV抗体)を導入しました。
平成2年に入るとさらに成分献血への期待が高まり、この年の4月から献血バスでも成分献血の受入れを開始することとなり、当血液センターでは2台の献血バスを成分献血対応車としました。
これにより、それまで血液センターや献血ルームでしかご協力いただけなかった成分献血が、バスの機動力を活かし、各地でご協力がいただけるようになりました。
このように時代は200mL献血から徐々に400mL献血、成分献血の時代へと移り変わっていき、血液の確保状況もそれまでの献血者数ではなく献血量として表すようになりました。
また、若年層の献血が減少傾向の状態が続いている中、昭和62年度から継続実施している高校生ボランティアのキャンペーンに加え、平成2年から大学生によるクリスマス献血キャンペーンが実施され、若者の行動力が大きな力となりました。

量から質の時代 そして献血のキーワードは「患者さんを思いやる献血」へ

「湾岸戦争勃発」この文字は我々の目にするどく焼きつき、ハイテク戦争と言われたこの戦争の行方をじっと見守っていました。
またこの年の6月、雲仙普賢岳が大噴火、大規模な火砕流が多くの人々の尊い生命や家屋、畑等を飲み込んでしまい、天災の恐ろしさを痛感しました。
平成3年そのような中、県内4番目(全国では72番目)の献血ルームが尼崎市にある塚口さんさんタウンにオープンすることとなり、管内東部の献血拠点が誕生しました。
一方、三宮さんプラザ献血ルームは59年に開設して以来、延べ献血者数が20万人を突破し、記念キャンペーンを行い、さらなる血液確保にステップアップすることとなりました。
平成4年には、新しい血液保存液であるMAP液(マンイトール・アデニン・フォスフェイト)を開発し、血液をより良い状況で保存できることになりました。
また10月には兵庫県主催による献血フェスティバルが明石公園で行われ、ステージやラジオ放送で多くの人々に献血を呼びかけました。
また、最新鋭の献血バスとして、会場に設置するとバスの車幅を広げることのできる拡幅式献血バスが全国の基幹センターに配備され、当血液センターでも活用しました。
この年には成分献血のご協力は全体の20%を超え、より良い輸血のため、さらなる期待が持たれました。また、血液の安全性への期待も高まる一方で、輸血用の血液は完全に「量から質」の時代へと変換をとげました。そして、その安全性を保つため、血液検査にたよるだけでなく、献血者ご自身にも自覚を持っていただくよう「患者さんを思いやる献血」を訴えていくようになりました。
平成5年、血液センター(神戸市中央区坂口通)での採血を中止。また、輸血用血液の供給をスムーズにするため、尼崎に設置していた供給連絡所を「ハーティ21」に移転することとなりました。

新たなる未来へ

昭和39年度、わずか150人の献血者にご協力いただいてから今年で48年、現在では年間に約21万人のご協力をいただくように発展しました。しかも献血の様子はすっかり変わり、今では400mL献血と成分献血がほとんどを占め、献血の主流は200mLから400mL、成分献血に取って代わりました。
血液事業は言うまでもなく、医療とともに進歩してきたわけです。
「血液事業」この生命に直結した、しかも人間同士の温かい心でつながれたすばらしい事業を発展させるため、今まで歩んできた紆余曲折の歴史をしっかりと受け止め、ご協力くださる数多くの皆さまとともに未来へ向かって歩んでいきたいと考えております。

悪夢の烈震!~阪神・淡路大震災~

平成7年1月17日(火)午前5時46分。
兵庫県南部地方を突如襲った未曽有の大烈震!
5,500人以上の尊い生命を一瞬にして奪い、26,000人以上の負傷者を出し街は崩壊。人々の心には計り知れない傷痕を残しました。
当血液センターが所在する神戸市も、交通機関や道路は寸断され、街のいたる所でビルや民家が崩れ、火災が発生、ライフラインもストップしました。
家を失い、避難生活を強いられた住民は約30万人。
誰もが「神戸は安全」と思っていて、災害に対して全く無防備であったのではないでしょうか。
街全体が猛火にのまれていくのをただ呆然と見守るしかなすすべのない私たちに、自然は計り知れない力でのしかかってきました。
この大烈震で当血液センターも大きな被害を受けました。
職員は、非常勤嘱託の医師1人が死亡、数人が負傷しました。また、家屋が全壊・半壊した者も38人おり、その他多くの職員が被害を受けました。
血液センターの建物自体には大きな損傷はありませんでしたが、内部は散乱し、停電によって冷凍庫や保冷庫などの保管庫やコンピュータ等は機能停止。検査・製剤機器、備品、車両等が損傷しました。また、三宮さんプラザ献血ルームは建物の崩壊で完全に機能が停止しました。
私たちはこの緊急事態に対して、「輸血用血液の安定供給」のみを考え、日本赤十字社本社や近畿エリアの基幹センター(当時)であった大阪府赤十字血液センター、また中国四国地方の基幹センター(当時)であった岡山県赤十字血液センター等と連絡を取り合い、全国の各血液センターの支援のもとに通常の約3倍の血液を確保し対応にあたりました。
しかし、電話の不通によって各医療機関から新たな血液の要請が入らず、こちらから神戸・阪神間の主だった医療機関に対し、巡回訪問をして血液を供給し、災害時の医療に支障が出ないよう全力を尽くしました。

■発生からの24時間

1月17日(火)
5:46
  • ・地震発生
  • ・管内停電、自家発電に切り替わるが、血液保存のための冷凍庫、保冷庫、血小板保存のための振とう機等が異常となる
  • ・当直者が対応を試みるが、被害が大きいため関係職員に連絡
7時~8時
  • ・出勤可能な職員が順次集まり被害状況の目視確認等、初期的な対応を行う
9:00
  • ・業者に血液保管のためのドライアイスの緊急搬入を連絡
9:10
  • ・大阪府血液センターに支援を依頼する
10:15
  • ・自家発電が停止する
  • ・ドライアイス、氷で血液の保存に努める
  • ・出勤者確保、勤務体制指示
10:40
  • ・すでに要請が入っていた血液と予備の血液を搭載して血液供給を開始
10:50
  • ・日赤本社に状況報告
11:45
  • ・徳島県血液センターに連絡し、当方から淡路島への血液供給は不可能な旨を伝え、供給していただくよう依頼する
  • ・同じく県立淡路病院にもその旨を伝える
12:05
  • ・日赤本社に状況報告し、指示を受ける
12:15
  • ・コンピュータが停止する
12:53
  • ・大阪府赤十字血液センターから応援到着。血液の保守や業者による冷凍庫・保冷庫のメンテナンスを行う
14:20頃
  • ・電話が不通となる
    一般電話、災害時の緊急電話共に使用不能。無線も混信等があり十分に機能せず
  • ・音信不通の旨伝えるため、また状況報告のため日赤兵庫県支部(中央区下山手)に行く
  • ・三宮さんプラザ献血ルームに確認に行くが、危険なため中に入れず
15:30
  • ・姫路血液センターから人員応援到着
15:35
  • ・血液センター内緊急会議
    状況確認、今後の全国からの支援体制確認等
17:15
  • ・日赤兵庫県支部の電話が一時的に使用でき、岡山県血液センターに血液の支援を要請
17:35
  • ・電話が不通のため、医療機関から新たな要請が入ってこない状況が続き、当方から神戸・
    阪神間の主要医療機関に対し、巡回訪問による血液供給を開始する(合計56医療機関、
    72件、血液1,069単位)
18:00頃
  • ・塚口、明石両献血ルームの確認ができる(両ルーム共、ガス、水道の使用不能、内部散乱等)
18:32
  • ・大阪府血液センターから再応援到着(血液、食料等)
19:20
  • ・近隣一般市民8人の避難を受け入れる
  • ・暗闇の中での作業が続く
1月18日(水)
0:03
  • ・電気が復旧する
3:40
  • ・岡山県血液センターから応援到着、西日本の各血液センターから集めた血液を届けていただく
4:35
  • ・職員3人連絡等のため日赤兵庫県支部へ行く 内1人は連絡要員のため支部に残留
  • ・電話が復旧する 日赤本社、主要医療機関にその旨連絡する
8:00頃
  • ・安否不明職員の確認に努める
8:50
  • ・出勤者54人(全職員の25.4%)に対して、本日の業務体制を指示する
  • ・非常勤医師の死亡連絡が入る